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セミナー On The Net
海外研修サポートセミナー成果報告会
(2008年11月17日開催の記録をもとに加筆)

 
○小野寺修二さん(パフォーマー・ディレクター)の研修報告(平成18年度文化庁新進芸術家海外留学制度研修員・演劇部門研修員)

司会 後藤美紀子(Arts Managers’Net)
みなさま、こんばんは。本日はようこそいらっしゃいました。私は、本日の司会進行を務めさせていただきます後藤美紀子と申します。どうぞよろしくお願いいたします。今日は、パリで研修をされたパフォーマーの小野寺修二さんにお話を伺います。小野寺さん、よろしくお願いします。

小野寺 よろしくお願いします。ぼくは、もともとパントマイムをやっていて普段の仕事ではしゃべらないので、今日は本当に緊張しています。演出という仕事では役者さんたちとコミュニケーションする機会はありますが、こんなに多くの方とコミュニケーションすることはないので、本当に気楽に、なるべくぼくの方を見ないくらいの感じで聞いてくださるとありがたいです。

司会 みなさん、ご存知だと思いますが、小野寺さんは「水と油」というユニークな形のマイムのカンパニーで活躍されていましたので、せりふのないパフォーマンスをされていたたわけです。今日は、その小野寺さんにお話をいただくという貴重な機会になりますので、みなさん、注目をして聞いていただきたいと思います(笑)。

■どのようにして研修先を探したか

司会 海外研修を考えるときに第一の関門になるのは、研修先をどのように見つけるかということだと思いますが、小野寺さんの場合はどのように探されたんですか?

小野寺 最終的には知人に紹介をしてもらいました。最初に「外国に行こう」ということを決めたとき、自分になにが出来るだろうと考えたのですが、いくつかビジョンが浮かんで、海外のカンパニーの活動について考えてみたいというのがそのひとつにありました。というのも、「水と油」という団体が休止をして、自分もひと段落して、どうやってこの先やっていこうかなと思っていた矢先だったので、向こうに行くなら、向こうのカンパニーの作品作りを見てみたいと。それで、どこかカンパニーを探そうと画策していて、最終的にダンス関係のプロデュースをしている方に行き着くことが出来ました。それも、まずフィリップ・ジャンティというカンパニーはどうだろうと思って、どういうツテがあるかを探しているうちに、最終的には知人が「こういう人がいるよ」とそのプロデューサーを紹介してくれたんです。

■どのような形で研修したか

司会 それで、その受け入れてくださった方がたまたまパリにいらしたので、パリに行ったということなんですね。具体的には、どういう形で研修をされていたんですか?

小野寺 ぼくの場合はちょっと特殊かもしれません。受け入れ先がプロデュースをやっているところだったので、それは事前に文化庁にも承認を取ったんですが、まず、「どういう研修をしようか」とその方と話し合いをしました。向こうから提案があったのは、どこかカンパニーに所属するということ、あるいはもう少し細かく毎日の日課を考えますか?ということでした。ぼくにとっては、カンパニーの仕事を見たいというのが当初の目的だったんですけど、せっかくの機会なので、自分が体を動かす訓練ができる場所を探せないかということで、いくつかワークショップなり、クラスなりを探してもらうことになりました。毎日ルーティーンで、パントマイムのクラスに行ったり、ダンスのクラスに行ったり、サーカスのクラスに行ったりしながら、空いている時間で、カンパニーのクリエーションがあるときはそこを見せてもらったり、ワークショップに参加させてもらう形で日々を送ることになりました。

司会 バラエティに富んだ内容だったという感じですね。毎日学校に行くだけではなく、学校以外に、カンパニーのクリエーションに立ち会ったり、ワークショップに参加したりなさったわけですね。

小野寺 カンパニーというのは、恒常的に仕事があるわけではなくて、ある期間仕事があって、またある期間休みになったりするんですね。それで、ひとつのカンパニーに属してしまうと、空き時間が出来てしまうと。せっかくお金もらって来ているので、有効に使うためになにができるだろうかと考えて、まず10月に学校に入ってしまおうと。学校のクラスは10月から始まって7月くらいまであるんですが、いきなり単独で実施されているワークショップを探すのも大変なんですよ。それで、週に3日なり学校に行こうと決めて、どのように自分が時間を使うかという時間割を組みました。その上で空いている時間、もしくは数日間のワークショップの話が来たらそれは受けますと。たまたまその方が、パリだけでなくて、いろいろなカンパニーを、例えばジャン=クロード・ガロッタや、アンジュラン・プレルジョカージュにも関わっている方だったので、そこで扱っているカンパニーで「こういうクリエーションをしているよ」というときには、稽古場を見せてもらったりしていました。

司会 学校に通われたというのは、マイムの学校ですか?

小野寺 そうです。マイムの学校です。マルセル・マルソーという有名なパントマイムのアーティストがいて、その師匠でエチエンヌ・ドゥクルーという人がいるんですね。その人が近代マイムの基礎を作ったのですが、彼が作ったシステムがあって、実は10年くらい前に日本マイム研究所というところで、ぼくはそのシステムを習ってきた先生から師事を受けているんです。ぼくも習ってから10年経っているし、マイムの本場のパリということもあって、エチエンヌ・ドゥクルー関係のクラスを受けてみたいと思いました。そうしたら、いくつかあったんですが、マイムというのは意外にその先生の色で出来ているんですよ。例えば、ぼくが日本で習った先生は舞踏と混ざり独自の色が出ていたり。ですから、「なにが本質なのか」ということがなかなか掴めない。それで、出来るだけドゥクルーが教えていたことを忠実に伝えている先生を探したいと思っていたら、いい先生が見つかったんです。イタリア人なんですけど。彼のクラスは、ただ3時間首動かしている、腕をちょっと上げるという小さな動作を使う「分解」という仕組みがあるんですけど、本当に首を曲げるだけという動作を3時間くらいやり続けるというものでした。

司会 すごいですね。修行みたいですね(笑)。

小野寺 最初は20人くらい生徒がいたんですけど、1年終わって残ったのが3人だけで、フランス人もそんなに気は長くないんだなぁと思いました。ぼくは仕組みが分かっていたので、やっていることがとてもおもしろかったんですよ。だから、クラスに出ることで、「ああ、こうだったなぁ」とか「10年前こうだったなぁ」とかいうことも含めて発見がありました。

司会 お話を伺っていると、受け入れ先がプロデューサーだったということで、情報をたくさん持っていたということが、小野寺さんにとってラッキーなことだったのかなと思いますね。

小野寺 そうだったと思います。

■研修中の出来事で、一番印象に残っていること

司会 そのような日課をこなされている中で、1年間にはいろいろなことがあったと思うんですが、フランス、ヨーロッパで1年間過ごされて、「こんなことがあったよ」というような一番強く印象に残っていることはどんなことですか?

小野寺 行って帰って来て、ぼくは改めて日本がいいなぁと思ったんですね。というか、行っている間、実は帰りたくて仕方なかったんですが、文化庁の決まりで無意味な一時帰国は認められない。それで、最初の頃は毎日、気がめいるような気分でした。ことばの勉強もたいして役に立たず、全く分からないんですよ。住むところも、フランス人のうちにホームステイの形だったので、みんなフランス語で、マイムのクラスもそのイタリア人の先生がフランス語しか出来ない。会った途端に「英語は無理だから」と言われました。でも、体を動かすと、なんとなくやりたいことが分かるんです。ただ、向こうが褒めているのか、けなしているのかわからないまま「あ、あ、あ」とうなづいて、向こうが残念そうな顔をするのを見るということが3ヶ月くらい続きました。そのうちに、なんとなくことばが分かってきて、「今、褒めているらしいぞ」と。・・・本当にそんな日々だったので、最初の1ヵ月半くらいは帰りたいというか、「ここにいたくない」と思っていました。そんな風にしてやっていくうちに、逆説的ですが、日本人の良さというものに気づいたんです。例えば、フランス語が出来ない、英語ができないということで、物怖じするじゃないですか。そういうことが、普通ならネガティブに受け取られますが、良いじゃないかと思ったんですよ。日本人の持っている、言う前にちょっと一歩引いてみるとか、ちょっとものを考えるとか、慮る感覚っていうんでしょうか・・・。

司会 はい。

小野寺 フランスはことばの文化なので、とにかく自分から「こうです、こうです、こうです」と主張しないと相手が「そう?」と言ってくれないので、自分のことを、ことばは出来ないけど主張していくということをやっていくうちに、以心伝心で「ん、わかる」という感覚が自分の中で薄れていく気がしたんですね。ことばで説明した方が、むしろ明確にものごとは伝わる気がするのですが、本当に伝わっているのかと。ややもすると日本人の嫌なところだと思われがちな「空気を読む」というようなことなども含めて、改めてぼくは日本人なんだなぁと思いました。そうすると、人は環境に慣れていくので、慣れていくことによって、自分が持っていたものも剥ぎ落とされてしまう感じがしてきました。ぼくの場合はものを作る仕事なので、自分が本来持っているものが環境によって変えられていくというのはよろしくないなぁと、フランスにいるときに思いました。フランスにいることは敵地にいることではないんですが、日本にいて作るものと、外国にいて作るものの違い差が見えた気がします。

司会 それは、例えばどういう点ですか?私も、平成14年度に在研でパリに1年間行かせていただいたので、小野寺さんがおっしゃるフランスの「言わなきゃ、言わなきゃ」という文化はとてもよく分かるんですが、その文化に馴染んでいくと、逆に日本人的な慮るという文化が落ちていくと感じられたわけですね。

■フランス人との共同作業で発見したこと

小野寺 例えば、研修の最後に小さな大道芸のフェスティバルのために、イタリア人とフランス人の3人で作品を作ったんですが、その稽古の過程で感じることがありました。最初に「こういうシーンをやってみて」とお願いしたのが、「ある男の人がレストランで食事をしています。そこに女の人が不用意に自分の席に着いてくる。」つまり、いきなり、相席されるというシチュエーションなんですけど、日本人だといきなり知らない人が目の前に座ったら、一回探るじゃないですか?「だ、だれだろう・・・?」と。それを想定していたんですけど、イタリア人の彼は、女が座った瞬間に「やあ!」と話しかけるんです。それで、「しゃべりかけないで」と指示したんですが、イタリア人の彼は「女の人が前に座って、しゃべりかけないのはおかしい。しゃべらないのはむしろ失礼だ」って言うんです。じゃあ、彼をしゃべらせないようにするには、どうしたらいいだろうな、と。多分、日本人にはこの一瞬探る感じ分かると思うんですよ。「だれだったっけかなぁ〜」といううちにこの無言の劇が始まるんですが、まず「ボンジュール」と言われてしまうと始まらないじゃないですか。そこで考えたのは、彼が「ボンジュール」と言うタイミングで女の子が彼に水をかけるんですよ。そうすると彼は止まるんですね。止まって、探り出すんですよ。「この人、だれだっけ?」そうするとことばが消えていく。
 おそらくそれはいろいろなやり方があると思うんですが、日本でやる場合は女が座るだけで、その瞬間無言の世界を作れるんですが、この場合はもうひと手間なにかを加えないといけないと。そういった未知の相手に、「自分は怪しくないですよ」と示すときに彼らはことばを使うんですが、そういう文化の人たちに、じゃあ、ぼくが日本でやってきたことをやらせようとすると、間の取り方が違うんですね。フランスでそれをずっと彼らとやっていたら、ぼくは今まで日本人としてやっていたことを忘れそうな気がしてしまって、それこそ、全部最初から水かけてみたいな、なんだか慌しい作品になってしまうような気がしたんです。日本人のちょっと慮るとか、相手を見るとか、間を読むとかいうことが、実はぼくの作品の中には生きているんだなぁと思い始めたら、これはフランスにいる場合じゃないかもしれないと思ったんですね。それじゃあ、この日本的な間というのが海外の観客に分からないかというと、フランス人もイタリア人も分かるんですよ。例えば、ぼくが日本人の女の子を連れて行って、その同じネタをやったときに、男が一瞬迷う気持ちは、みんな分かるんです。なんでお前はしゃべらないんだとは誰も言わないんですよ。それはもちろん、ぼくが日本人だからというのもあるんですが、そういう状況をイタリア人の中でも探していくと確かにある、と。ただ、その相手を探る時間の問題だけだ、と。
 そういったときにちょっとした文化のズレなんですが、日本人がやっていることを海外でやる意味というがあると感じました。「水と油」でやっていたときも、海外公演に初めて行こうとなったとき、ずいぶん言われたんですね。日本的な要素をいれなきゃダメだと。例えば、着物着ないのかとか、音楽も日本風にしなきゃだめじゃないのとか。だけど思い切って行ってみたんですよ、なにも変えずに。

司会 それは、ヨーロッパだったんですか?

小野寺 はい、ヨーロッパで、やはりフランスで、そのときの批評が非常に日本的だと。例えば仕草ひとつの見方をとってみても、「レストランのシーンでフォークとナイフを使います。」それが日本的だって言うんですよ。それで話を聞いてみたら、例えばこれはすごく具体的な例ですが、「イギリス人はフォークを使ってそのまま食べます」「アメリカ人はフォークを使って手を持ちかえて食べます」というだけでも場所によって慣習はちょっとずつ違って、それが明確には分からないけど、見ている側にとっては引っかかりになるらしいのです。まず、「日本人が椅子に座ってレストランにいる」という絵が、ある種の引っかかりをもって受入れられたようで、座り慣れてないと言われました。

司会 座り慣れてないと言われても困りますよね(笑)。

小野寺 でも、そういうことが文化なんですね。だから、自分の体に染み付いたものがそのまま文化になるんだなぁ、というのが、そのときの海外公演の感想でした。今回もそれと同じ経験で、ああ、自分がなにか作るときに思考しているのは日本人としての回路じゃないか、と。

司会 そうですね。

小野寺 それが作品となって海外にツアーしたときに観客が見て驚くことがあるとすれば、それは彼らとは別の思考回路を持った人が作ったからなのだと思いました。例えば、田舎で職人さんが売れることを考えずに一生懸命ものを作っていて、ただ一生懸命に作っていたものが、たまたま都会に出てきたらバンって売れることってあるじゃないですか。ぼくが体験したのはそういう感じに似ていて、もしかしたら自分の作品を東京で煮詰めていって、フランスに持っていったときに、「あ、これ見たことない」「ちょっと違和感ある」と思わせることが出来るんじゃないかと、今回の研修で実感しました。
 実際に、今年は、この間神戸で作った自分の作品をフランスとポーランド2カ国に持っていったのですが、1年間の研修を通して、自分の活動の方向性として、「日本人であるということを改めて考え直して、それをどうやって外側にもっていくか」ということを、ぐっと捕まえたという感じですね。

司会 それは、研修に行く前から「こういうことが出来たら・・・」と思って行かれたことなんですか?

小野寺 いえ、研修の途中から気がついたことです。今、行ってきてどうですか?と問われたときに「すごい日本大好き」(笑)と少し言えるようになってきました。能や歌舞伎など日本の伝統芸能も、勉強はしてなかったんですが、伝統芸能と自分がやってることとどう繋がるのかということを、少しずつ意識できるようになってきました。そういうところはずいぶん変わった気がします。

司会 では、帰っていらしてから、そういった視点の変化というものをご自身で感じてらっしゃるんですね。

■海外のカンパニーの作品つくりの方法を知りたい

小野寺 そうですね。もうひとつ行く前に思っていたのは、海外のカンパニーの作品の作り方を知りたいということです。どうも噂では「1年とか3年とかという期間をかけてひとつの作品を作るらしい」と聞いていて、1年で作品を作るというのはどういう風にするのだろうかと。というのは、「水と油」というカンパニーでは公には「3ヶ月で作品を作ります」と言っていたんですが、そう言うと「そんなにかかるんですか」「そんなに人を拘束するんですか」と言われていたんですね。長いと思われていた「水と油」でも3ヶ月。内情を言うと、2ヶ月くらいは漠然と素材探しをして、ラスト1ヶ月で集中して作品にしていくという作り方だったんですね。
 それで、最初海外に行けるとなってから、見たいと思ったもののひとつが、噂に聞く1年間かけて作品を作るというカンパニーの稽古だったんです。1年もかけて、なにをしているのだろうかと。それで思ったのは、ダンスのカンパニーが演劇に対する意識が高い、演劇のカンパニーが動きに対する意識が高いために、作品ごとにあったアプローチ方法を探る期間が必要で、そのために稽古期間が長く必要なのだと思いました。
 例えば、日本でぼくは演劇の人とダンスをやっている人を見分けられます。「あ、この人ダンスだな」「この人、演劇だな」と。これははずれないと思う。ですが、向こうでは、それがすごい確率はずれるんですよ。「こいつダンサーだな」と思ってプロフィールみると、「演劇で今回ダンスは初めて」と書いてある。「はは〜」と思って、で、今度、「こいつ演劇だな」と思ってみていると、バリバリのダンサーだったりするんですね。下手するとオペラ座で踊っていたりするんですよ。「俺、目がおかしくなったのかな」と思いました。つまり、ダンスと演劇の技術やアプローチが、ずいぶん混ざっていると。演劇のカンパニーは演劇のカンパニーなりのアプローチをしているんですが、その中で動きに対する意識がとても高いことをやっていたり、ダンスのカンパニーは逆に演劇に対して興味を持っていて、ことばを使って動くということに関していろいろやっている。
 あと、ルコック演劇学校などの基本になりうるシステムが存在するということも大きいと思いました。日本では、そういうシステムがあると仕組みだけを輸入しようとして、それを勉強してきた人が教えたりするんですが、向こうのカンパニーはそれをそのまま取り入れるのではなく、カンパニーに合った稽古にはなにが必要なんだろうと考えるんですね。例えば、演劇の作品を1年間で作ろうと言った時に、今回はダンスを使いたいから、ダンスの稽古をする、そのときに惜しげもなくダンサーを呼んでくるんですよ。それを最初の2ヶ月くらいそれだけやっていてもいいんじゃないかということなんです。ダンサーがカンパニークラスでどんどん教えていくと、いろいろなことが変わって行くんですね。日本では演劇とダンスが分かれていて、ぼくもよく「演劇なんですか、ダンスなんですか」と聞かれるんですけど、そういうことではなくて「今、必要なものとしてこれをやる」と言う意識が高くて、そこにはダンスも演劇もないという考え方がしっかりとあるように思いました。それで、正直言うと、悔しかったんですよ。自分が「演劇をやっている人とダンスをやっている人を100%見分けられる」なんて自慢していたのが。他人から、見分けられちゃダメじゃないですか。演劇だのダンスだのどっちをやっていても、両方やっていてもいいことだし、自分もそういう境目が分からないのがいいと思ってやってきたんですが、実際の稽古のやり方を目にして、ジャンルごとに方法論が分かれていない稽古の仕方というのが、1年間をかけて作品を作るやり方なんだろうなと思いました。それはとても勉強になりました。実際、日本の現状を言うと、1年かけてクリエーションなんて絶対できないんじゃないかと思います。短期間で、例えば1ヶ月、下手すれば2週間くらいで作品を作ってしまえる人はいますが、裏を返すと1年かけてひとつの作品をつくり上げられる人というのは非常に少ない気がするんですよ。つまり、1年間を有効に使っていい作品を作るということなんですが。ぼくにも、「じゃあ、どうするか」という答えはないんですが、自分の課題が出来た気がします。同時に、自分がクリエーションに携わる以上、とても刺激になったし、システムの違いと言ってしまえばそれまでなんですが、そのやり方が分かっていたら、例えば1年でやることを1ヶ月でやることも可能だなぁと思います。今は、そういうことを少しずつ実現していけたらいいなと思っています。

司会 そういう視点は、やはり「水と油」というカンパニーでやってこられて、それこそ「ダンスですか、演劇ですか」という質問をしょっちゅう投げかけられていた小野寺さんならではの視点じゃないかと今、お話を伺っていて思いました。

小野寺 その通りだと思います。

■研修を考えている方へのアドバイス

司会 それでは、そろそろ時間なので、最後にひとつお伺いします。今日、来てくださっている方の中にも、具体的に海外研修を考えてらっしゃる方がいると思うんですが、そういった方たちに向けて、経験者として小野寺さんからなにかアドバイス、これだけは言っておきたいということがあれば、お伝えいただけると参考になるんじゃないかと思うんですが。

小野寺 はい。海外に行くことは、ある意味大きなことですが、残念なことに、海外に行って来たこと、つまり「外国帰り」というだけでステータスになる場面がある気がするんですよ。でも、「海外へ行ってきました」が売り物だけになってしまうのは惜しいかな、という気がしました。 これは、当たり前のことかもしれないですけど、ひとつなにかをやるに当たって、ちゃんと目的を持ってやれるといいんだなぁということを強く実感しました。あとは、覚悟を決めることがまず大切なことで、それプラス、できる限り、準備していくといいと思います。例えば、語学も、「ああ、もうちょっと勉強してきたらよかったのに」という経験をして、そのあと勉強する。それからいろいろ手続き関係で痛い目に遭いましたが、それももうちょっと調べておけばもしかしたらこんなに痛い目にあわなかったかもということもありました。でも、そういうことも全部含めて、それこそ無駄なことも含めて、それが海外に行くことだと思います。そうすると、1年なり、3年なりという期間が決まっている短い滞在でも、返ってくるものは大きい気がします。実は、今、自分に言い聞かせている感じなんですが(笑)、「ああ、もうちょっとなんかな〜、やり方あったろうなぁ」というのは、1年間行って、たった1年というのは、あっという間で、自分の中では何も消化し切れない状態で帰って来る感じです。それもそれで、自分にとっては今言った2点、いろいろ刺激を受けたことがあるので、この先もそれを糧にやっていこうと思っています。だから、なんにも準備しなくてもなんとかなる、だけど、準備していけば、またその先がもっとあるかもしれないと思いますね。これ多分、行ってみて帰ってきてみると分かることだと思うんですが、それを今、準備する人たちに「なにを準備したらいいの?」と聞かれたら、とにかくがむしゃらに準備したらいいと。それから、人の言うことはあまり聞かないほうがいいかもしれません(笑)。あの人がこうだって言ってたことがうそだったり・・・

司会 それは私も経験しましたね。

小野寺 人が言うことを鵜呑みにするのではなくて、一回疑って、自分で調べてみるくらいすると、なにかいいことがありそうな気がします。

司会 例えば、小野寺さんのことばの中に滞在許可ということばも出てきましたけど、外国に滞在するための事務手続きというのは、山のようにあるんですね。それを外国語で手続きをしなくてはならないというハードな状況で、それも着いたばかりの一番語学が出来ない時期にやらなくてはならないんですね。自分がやらなければ、だれも助けてくれない状況なわけです。私も、在研で前の年にフランスに行かれた方がこうだった、ということを信じたがために痛い思いをしました。今は、インターネットなどで自分で調べようと思えば、調べられる時代ですから、まず、自分で調べてみることを私からもお勧めしたいです。というのは、国内で自分で情報が得られなければ、向こうへ行って外国語で正しい情報を得られるわけがないんですよ。事前の準備ということを、今、小野寺さんが経験者として実感をもっておっしゃっているというのは、なるほど、その通りだと申し上げたい気持ちでいっぱいですね。

小野寺 ただ、ぼく自身は「誰も知らない、なにもしゃべれない」という経験を40歳過ぎてしたのは良かったと思います。「こんなに俺はダメなんだ」と思えたのは、それも良いことなので、それも全部ものの見方次第だと思うんですね。本当になにかを得たいと思ったら自分で調べるだろうし、海外に行くことが自分にとってゼロに戻ることだと思ったら、なんにもしないでいってみたらいいと思う。ただし、それで痛い目に遭っても、そういうときに返ってくることが「フランス政府のせいだ」とか、そうではなく、自分のせいだとぼくは思うんですよ。大事なことは、海外へ行くことの目的がちゃんと見えているということではないかと。ぼくは、事前にたいしてことばも勉強しなかったし、準備していないから痛い目に遭った、でも、それが自分にとっては良かったんですね。
 他人とことばも通じず、生活でコーラ一個買うにも通じないというゼロになる経験というのは、なかなか出来ないと思うんです。例えば、ぼく「カフェ」ということばが通じなくて、何度も聞きなおされて、「カフェー」「キャフェ」とか言ってみるんですが、通じないで、ギャルソンにそのまま帰られちゃったことが何度もあって、3ヶ月くらいコーヒーを飲むのに大変な思いをしました。それでやっと慣れてくると「シルヴプレ」(お願いします)と付けたくなるじゃないですか。それで、「アン・カフェ・シルヴプレ」(コーヒー、お願いします)と言うと、カフェ・オ・レが出てきたんですよ。多分、「シルヴプレ」の「レ」しか向こうに聞こえてなかったんじゃないかと。3ヶ月たって、やっとカフェ・オ・レじゃないですか。気が遠くなりました(笑)。それから、ことばが通じないので、それならと、絵でクロワッサンを描いたらエビが出てきたり、だから朝7時にこんなでかいチキンのサラダを食べたことがあって、そういう不条理って、自分の中では満載ですよ。

司会 それは「水と油」のパフォーマンスの世界そのものですね。

小野寺 はい、いやというほど不条理を味わいました。それは、ぼくの職業上、とても得なことで、「あ、おいしい」と言って、メモしました。

司会 ネタがいっぱいって言う感じですね。

小野寺 自虐的なネタですが(笑)。

司会 どうもありがとうございます。帰って来てその経験をどう評価するか、同じ経験をしてもポジティブにとらえるか、ネガティブに考えるかはあると思うんですね。小野寺さんのように、前向きに、クリエイティブに消化されている方もいらっしゃいますので、最終的に海外に行くという経験にどんな意味があるかというのは、帰って来て、ひとりひとりがその経験をどう消化するかということにかかっているんじゃないかと思います。
 それでは、小野寺さん、本当に楽しいお話をどうもありがとうございました。


 
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