芸能実演家・スタッフの活動と生活実態調査

人材育成

コンテンツ産業として注目されている音楽・映像・アニメーション。その創造を担っている人たちの仕事や生活は、どうなっているのでしょうか。実態調査の結果から、ジャンルごとの傾向は把握できますが、アニメーターやそれぞれの実演家は、どのように研鑽を積んで技能を高め、一人前となっていくのか。また、仕事の環境はどうなのか。7人のパネリストそれぞれの育ち方をうかがい、各ジャンルや業界全体がどうすればよりよくなっていけるか、その糸口を探りました。 2015年10月2日に開催したシンポジウム「知っているようで知らない、アニメーターや実演家の育ち方」から構成。

シンポジウムの様子

井上俊之日本アニメーター・演出協会
代表理事

校生の頃、アニメが好きだったことから、当時ようやく大阪でも始まったアニメの専門学校に入学し、アニメーション作りの基礎を2年間学びました。その後、作画の下請けプロダクションに入社し、動画の仕事を本格的に始めました。

アニメーターの仕事は、大まかに分けて動画と原画という二種類あります。あるカットの中で、動きの必要不可欠な絵を描くのが原画で、原画と原画の間を補完する絵をある程度、機械的に描くのが動画です。アニメ業界に足を踏み入れた新人は、まず動画を描くことから始めます。動画の期間は、謂わば「修行期間」であり、毎日10-12時間描き続け、この業界で生きるための適性を見定める期間でもあります。私の時代だと1-2年間、現在では2-3年間、人によっては4-5年間も動画描きをした後、原画作成に携わるようになります。私は幸い適性があったようで、1年半ほど動画の仕事をやったところで、原画に上げてもらい、以来、三十数年描き続けて来ました。さらにそこから作画監督や監督になる人もいますが、私は原画だけを一途に続けてきました。

動画の給与は、ほぼ完全出来高制です。現在、一枚あたりの単価はほぼ200円ですから、月に一人前の目安と言われる500枚描いても月収は10-12万円。年収120万円にも満たないのが実態です。収入の低さではよく若手のお笑い芸人さんと比較されます。芸人さんは営業のない日にはアルバイトができると聞きますが、アニメーターの場合、このように長時間の労働ですので副業をする余力はありません。動画を描く期間は確かに修行期間ですが、収入が極端に少なく、期間も長くなっているのが昨今の問題です。製作予算が上がらないなかで、1セクションの給与を上げるのは難しいと思うのですが、何とかやりくりしてあげて欲しいなあと思います。

アニメーター採用の際は実家から通える人が採用されやすいと聞きますし、会社も動画が食えないということは分かっているわけです。これまでは、能力の低さゆえに低収入だといわれることもありましたが、実態調査をやってみて、全体の動画の収入の平均が120万円に届かないことが見えてきましたので、業界全体の問題だということは明らかです。関係団体の努力でこうした問題は改善できると思います。アニメ業界に入ってくる人は多く、減少傾向にはありませんが、原画で才能を発揮する前に辞めてしまう人を減らすことは、不足していると言われる原画の描き手をこれ以上減らさないために重要だと思います。

高瀬将嗣殺陣師、俳優、映画監督

陣師とはテレビや映画の格闘シーンの振付師のことで、「殺」は戦いを、「陣」はフォーメーションを意味しています。殺陣師は概ね俳優出身で、現場で所謂「切られ役」や「やられ役」と呼ばれる「絡み役」を経験しており、それゆえカメラに対してどう表現すれば安全に演じ、かつ危険に見せられるかを熟知しています。

Vシネマの勃興期だった30年前、アクション物は相当の販売本数が見込めるジャンルでしたが、アクションに精通している監督の絶対量が少なく、私は演出からコンテ作成(カットを割りカメラポジションを決めること)までおこない、結果として予算圧縮のため監督を兼任するようになりました。合成やCGが普及し、危険な演技が安全に表現できるようになった現在、殺陣師の置かれている環境は厳しいものですが、それにもかかわらずこの仕事を続けているのは、アクションが好きだからに他なりません。

多くの人は、かつてのブルース・リーやジャッキー・チェン、真田広之に憧れてこの業界に入ってきますが、一方「絡み役」は主役に斬られたり、ノックアウトされる瞬間に観客全員の視線を集め、まさにそこでは主役以上に注目を集める立場となるわけで、そのカタルシスが達成感に繋がります。ただ、アクション関係者のすべてが、必ずしも充分な訓練を経て現場に出るというわけではなく、スタントマン、アクションプレーヤーがその日からプロの作業を要求される事は多々あり、結構アバウトです。

例えば、私は14歳でスタントマンとしてデビューしました。当時、日活撮影所の殺陣師だった父が、石原裕次郎、小林旭のアクション映画を振付けていた時に別の時代劇で忍者が必要になり、子どもでも覆面をつけておけば分からないだろうと神社の石段から落とされたのが最初のキャリアです。プロテクターを着けて臨みましたが、どういうわけか着けていないところを打つもので、痛いのを我慢していたら見込みがあると言われ今に至っています(実は痛みに強かっただけですね)。

実は二昔くらい前まで、アクション業界に後進を育てるのは困難な状況になった、と言われていました。もともと殺陣師やアクション俳優は撮影所の所属でしたが、在京に限れば撮影所システムは壊滅状態となってしまったからです。しかし、最近では若手のアクション監督がフリーランスのアクションプレーヤー、スタントマンを集めてアクションシーンを構成することが常態化してきたため、徐々にですが事態は好転しつつあります。さかのぼれば千葉真一さんが主催したジャパン・アクション・クラブ(現、ジャパンアクションエンタープライズ)や、倉田保昭さんの倉田アクションクラブが後進育成に尽力したことも大きなことでした。

今では、日本のスタントマンは100人を超え、香港や中国で製作されているアクション映画にも多くの日本人がオファーを受けるようになっています。それは、海外のスタントマン以上に危険な行為を安全に行う技術を持っているからで、そのモチベーションについて現状は明るいといえるでしょう。

吉住小三郎長唄演奏家

唄は、常磐津、清元、義太夫、新内、三曲など多岐にわたる「邦楽」、すなわち日本の伝統音楽のうちのひとつです。長唄のプロ演奏家には、主に歌舞伎の舞台で演奏する人や日本舞踊の音楽を担当する「地方(じかた)」と呼ばれる人たちがいます。歌舞伎と舞踊に従事している演奏家は主に男性です。東京、大阪、名古屋、京都、博多などには芝居小屋があり、特に、歌舞伎の方は活況で収入も安定しています。一方、長唄協会にはおよそ2800人の会員がおりますが、実は、その9割がたは歌舞伎や日舞の舞台ではあまり演奏せず、個人の稽古場で教授業をしたり、演奏会を活動の場にしている方々です。男女比で言えば、その7割は女性です。

長唄では一般には免状を頂いて、名前を得た時点で広い意味でプロとなります(流派により若干異なる)。一昔前は、どこからともなく三味線の音色が聞こえてくるということがありましたが、最近ではそういうこともなくなりました。長唄を習う人が少なくなっていることから教授業も厳しく、お弟子さんからの月謝だけで生計を立てていくのは難しくなっています。大多数の方は、ご主人が家計を支え、奥さんが長唄の先生として家計を助けているというのが実情かもしれません。

そうはいっても、最近、中学の授業で三味線やお箏(こと)が取り上げられるようになり、習いに来る子どもが徐々に増えてきました。伝統芸能の世界では6歳の6月6日から習うと良いと言われます。こうした街のお師匠さんは、子どもたちが古典音楽を習うときの入り口として大変重要で、芸を継承するうえで、また優れた演奏家を輩出するという点で欠かせない役割を担っていると言えるでしょう。

長唄を学ぶための専門的な教育機関はほとんどありません。唯一東京藝術大学の邦楽科で専攻することができるに留まります。その他では、歌舞伎音楽に特化した国立の研修所も、もうひとつのキャリアパスです。長唄は世襲の側面もありますが、親が習っていることがきっかけとなることが多いです。私は、長唄を継承する家庭に育ち、正直、若い頃は古典音楽を古臭く感じ嫌でしたが、色々考えながら最終的には家業を継ぎました。幸い私は名前をお出しする立場の家に育ちましたが、男性で長唄だけで食べていこうとなったら、相当の勇気と決意が必要だと思います。全体として歌舞伎長唄を除けば明らかにお仕事は減ってきているのが現状です。仕事があるかどうかは、聴いてくれる人や習いたいが人が沢山いらっしゃるかどうかです。つまり現状で長唄に従事する人が減っているのは、マーケットがないからとも解釈できるわけです。それゆえ、人材育成を考える一方で、マーケットを広げる努力もしなければなりません。その一環として、小・中学校などに出向き、将来に向けて種を撒く活動もしています。若年層にとって将来の職業として見た時に、プロになって活躍する姿がイメージしにくいという点も目標意識に繋がらないのではと思っています。

花柳源九郎日本舞踊家

本舞踊の専門家には、レッスンプロ、振付師、舞踊家の三つがありますが、9割以上を占めるのはレッスンプロです。次いで、わずか1パーセントぐらいが振付師、そして舞踊活動のみで生計を立てている舞踊家は、実は皆無に近い状態です。育成については、現在、日本舞踊は50代60代以上の方が圧倒的に多く、30代の私は、未だ「若手」として育成を受けている側になります。

多くは、家庭環境や習い事をきっかけとして日本舞踊を始め、小中高に通いながら師匠の下で学びます。ひとつの大きな分岐点は、大学を卒業する時。就職するか、日本舞踊の道に入るかを決断しなければなりません。現代において、日本舞踊家としての活動に、どのような道があるか先が見えづらいところもあり、よほどの決断となります。大学卒業後も続けたいという場合は、師匠について実地で稽古場、舞踊会のお手伝い、振付の助手などをすることから始めます。

日舞では、「花柳」「藤間」「坂東」など、その流儀ごとに名前をもらう「名取式」や 「名取試験」などがあり、「名取」はだいたい10代から、その資格を頂けますが、指導者、師匠となれるのは「師範」の資格です。つまりレッスンプロとして「師範」を取得し、教室を開き、お弟子さんが習いにくることで生計を立てる、この師匠業が日本舞踊家の大半と言えます。

昔は、日本舞踊も良い時代がありましたが、生活様式の変化、昨今の経済情勢の下では、教室を開くとしても、稽古場の確保、着物を始め様々なものに相応のお金が必要であり、また日本舞踊人口の減少も伴い「教室を構える」こと自体が難しい問題になっています。昔は、先生が何ヵ所かの稽古場を持っている事も多く、その一部を弟子が譲り受けるということも多かったようですが、現在では稽古場を譲り受けること自体、なくなってきています。また、公共施設を定期的に借りて教室を開くのも難しいのが現状です。

各流儀の「家元」は、歌舞伎と同じく世襲制が大半ですが、一般の日本舞踊家の場合、必ず世襲という訳ではありません。私の場合、親が日本舞踊をやっており小学校から高校までは親に習いましたが、その後は自らの意思で、東京藝術大学の日本舞踊専攻に進学し、今の師匠である花柳壽輔に師事しました。現代では、やはり日本舞踊家になる事は大変だと考えられていて、例えば私のように、親がやっていていたとしても「就職したほうがよい」と勧められるケースも最近は多いようです。日本舞踊人口の大半は、教室などは開かず、趣味としてやっていらっしゃる方が全体の8割以上を占めていると思います。

高木俊徳舞踊家・
日本バレエ協会専務理事

レエは、フランスで今から年300位前に確立されました。「ダンスクラシック」というひとつのメソッドであり、文化として確立されたものです。そこでは、どのように女性をエスコートし、女性はどのようにエスコートされるかが基本になっていましたので、フランスでは礼儀作法として殆どの女の子がやっていたと言われています。日本ではバレエは輸入文化であり、洋物で舞台に立つ人ならば、絶対に学んでおかなければなりません。バレエをやることで、スタイルというだけでなく、姿勢、すなわち胃や腸が体の中の定まったところにあるといった身体のあり様を体感できるからです。「ダンスクラシック」というメソッドを朝に行うことは、ピアノでいう調律のようなもので、身体があるべきところに整ったという意味において言葉では言い尽くし難い快感があります。ですから、喩え舞台に繋がらないとしても、レッスンだけでも楽しめるものです。

ヨーロッパでは、全てではないですが、バレエダンサーが職業舞踊家として確立されています。小さい頃からバレエ学校に入って身体を作り、舞踊家になって、退職後は年金を頂くという舞踊家の生活があります。こうしたキャリアのためには、バレエに向いた身体と資質が必要です。それゆえ、ダンサーとして確立されなければ、自分がバレエに適していないと判断できるわけです。一方、輸入文化として受け入れた日本にはバレエ学校というシステムがありません。現在では色々な方々が日本国内のコンクールばかりではなく、世界で賞をとったりし、バレエは華やかに見えます。実際、チュチュとトゥシューズに憧れて女の子は早い時期からバレエを習い始め、カルチャーセンターでもバレエのクラスはとても多いのが現状です。男の子も、熊川哲也さんや多くの外国人ダンサーが公演を行うなど、目に見える形がありますから、昔よりは生徒さんは増加しています。しかし、バレエは肉体の成長と共に作り上げていくものですから、成長が止まってしまうとバレエのメソッドを身体に入れることができません。大体、6、7歳、早い子は3歳くらいから、成長と共に身体を作り上げていきます。条件が良く、柔軟性があり、良い筋肉を持っているなら多少遅いスタートでも大丈夫ですが、「やりたい」という気持ちだけでは、大抵の場合、身体を壊してしまい長続きしません。また、男性ダンサーは女性ダンサーを持ち上げたりするために背骨が歪み、腰痛が出てきたり、膝がだめになってしまいます。このため、多くの場合、40歳くらいになると体がボロボロなってしまい、自分の人生の先を改めて見つめ直すことになります。

私は、初め演劇をやっており、ボディトレーニングの一環として15歳の頃にバレエを始めました。その当時としては早いほうでしたが、恥ずかしくてバレエをやっていたことを隠していました。大学卒業間際に進路を真剣に考えた結果、「何の保証もないが、賭けてみるか」とバレエダンサーになる道を選びました。

最近では、日本の稽古場で学んだ後、海外で名を馳せることができ、新国立劇場のバレエ団に入る道もできました。恵まれた一部の人達は別ですが、殆どの人達は残念ながらそれだけで生活できるわけではないのが現状です。国、バレエ団によって差異はありますが、バレエ団によって雇用され、給料をもらい、保障されている人を「プロ」と称しますが、日本では民間のバレエ団で踊っている団員を「プロ」と呼んで差し支えないと思います。もっとも、プロならば「食べていける」というわけではありませんので、お金のことを言えば、全員がアマチュアと言えるかもしれません。つまり、役を取れるかどうかと、食べていけるかということは別物なのです。我々の仕事が恵まれていないというのは事実でしょう。

そのなかで一番安定している仕事は、教えることです。また、稽古場を設立することもひとつの手立てです。ただ、稽古場を持つと生徒さんが集まることで生活は安定しますが、今度は「経営者」になってしまい、純粋なパフォーマーとしての神経が薄れていく点は非常に苦しいところです。事実、類まれなダンサーが一人の経営者になってしまったということを、これまで沢山見てきました。日本の現状は舞踊家の情熱によって支えられています。経済によって支えられてはいません。ここで、経済と文化は両輪であるということを伝えていきたいと思っています。

桂歌春落語家

達、落語家は寄席で仕事をしています。寄席は7割が落語で、これに色物と呼ばれる漫才、曲芸、紙きりなどが加わり、お互いを盛り上げています。落語は、小さい頃から習うわけではなく「落語家になりたい」と思ったときから稽古が始まり、師匠につく必要があります。しかし例えば、吉本の芸人さんのように漫才では、師匠は必要ありません。落語では師匠に入門した後、見習いが数ヶ月あり、4年ほどすると「前座」に、おおよそ10年経つと「二つ目」、最終的には「真打」となります。ですから、真打になるまでには、入門から数えて、14、5年は掛かることになります。

寄席のポストは、昼夜で合わせて40組くらいしかありません。前座は、お客さんがいないところで喋ります。二つ目は、昼の部、夜の部にそれぞれ1つしかポストがありませんから出番は少なく厳しいです。では、真打になれば、毎日寄席に出られるかというと、そうではありません。真打披露という披露興行をしまして、その間、トリを取れる権利があります。そのときに、席亭、すなわち寄席のオーナーが「この落語家はなかなか良いなあ」と思ったときに、落語家に声が掛かるわけです。つまり、披露興行とはオーディションのようなものと言えるでしょう。

寄席は10軒足らずですが、今は、落語家になりたいという志望者が、逆に多すぎるくらいの状況です。落語芸術協会だけでも前座が30名近くおり、新宿末広亭の6畳くらいしかない楽屋に14、5人の前座がごろごろしています。確かに成り手に事欠かないとは言え、玉石混合で一億総活躍とはいかないのが現状です。また、プロ野球選手のような「戦力外通告」はないので「向いていないのかな」と思っても、セカンドキャリアが難しいですから、結局は辞められないということになりがちです。ただ、師匠の歌丸が良く言う通り、「江戸時代半ばから続いているこの寄席の世界を残すのが落語家の仕事。次のお客様を残すのも大事な仕事」だと思います。

寄席と落語家は車の両輪です。寄席の入場料収入は、寄席のオーナーと協会が折半します。寄席のオーナーが半分もっていきます。そして協会に持ち帰った半分から運営費や前座の分を引いたあと、残ったものを出演者40組で分けます。もちろん、均一ではありませんし、お正月やゴールデンウィーク、お盆興業などで、沢山のお客さんに入っていただければ実入りも多くなります。私達の一番の望みは、寄席が東京、大阪だけでなく、全国で増えてほしいということです。そうすれば、一極集中ではなくなり、供給過剰も解消されるのかなあと思います。

渡辺健二ピアニスト・
東京藝術大学教授

の母親が趣味でピアノをやっていたため、5歳からピアノを習い始めました。当時としては早いほうでしたが、男の子だから外で遊びたくて、小学校4年生の時にピアノを一度止めました。中学校に入るとサッカーに目覚め、クラブのキャプテンをやるほど入れ込みましたが、結局は、その頃に再びピアノを始め、音楽高校を経て、最終的には東京藝大に進学しました。こうして大学3年生の頃にクラシックの道に進むことへの自覚が芽生えました。

現在、バイオリンとピアノは3-5歳頃、早い人は2歳から始めます。ヤマハやカワイの音楽教室を通じて始めるケースもありますし、最初から繋がりがあって、良い先生につく場合もあります。また、金管楽器や木管楽器の場合ですと、中学校から吹奏楽を始め、高校生くらいになり演奏家を目指そうする方が多いだろうと思います。声楽は、声変わりを終えた高校生ぐらいの時に「良い声を持っている」ということで始めるのが多いと思います。始める時期や筋道はまちまちですが、音楽のプロになろうとする人間は、大抵、音楽大学に行きます。最近は早くから留学する子もいます。中学校や高校の頃にアメリカやヨーロッパに渡りますが、結局のところは音楽大学にいくケースが多いでしょう。

最近、音大の受験生が随分少なくなっているとは言いますが、音楽をやりたい子はそれでも沢山います。ただ、キャリア形成を考えると出口がないというのが一番の問題です。音楽大学を卒業した後にどこで生計を立てていくかが、シビアな状況にあります。例えば、東京藝大に勤める若い非常勤の先生でも、ピアノとは関係ないアルバイトをしている人も少なくありません。教授業をせず、ピアニストとしてのソロ活動だけで食べていける人は、実は10-20人もいないのではないでしょうか。片や、弦楽器や管楽器ならオーケストラに入団することが考えられますが、ひとつのポストが空くと100-200人の応募があるという厳しい状況です。従って、ソロ活動に加えて教授業、さらには音楽以外の仕事もやることで、生活している人が非常に多いのではないかと思います。

音楽大学には、才能があり、世界に通用すると思われる子がいます。しかし、日本の音楽教育で足りないと痛感するのは、「聞いてくれる人に、何を提供できるのか」を教える人間が、果たしてどれだけを教えてきたのかが疑問だということです。ピアノが上手に弾けて、海外のコンクールでも受賞し、日本に帰ってきたピアニストは、ここ10-20年で何百人もいます。しかし、その人たちを受け入れるだけの市場はありません。演奏をするならば、聞いてくれる人が必要です。そのときに、「自分が何を売りにできるのか」、「何を提供できるのか」を自覚して作り上げ、社会に発信する力がこれからの音楽家にとって求められるものではないかと思います。それが音楽大学の課題でしょう。また、聞いてくれる人が少ないという現実がありますから、市場を広げていく努力をしなくてはならないと感じます。もちろん提供できるものがなかったらお客さんは増えません。ですから、上手く弾けるだけではなく、「もう一度聞きたいな」と思わせるだけのものを持っている人間を育てることが、人材育成を考える上で一番重要な点だと思います。

コメンテーターより

澤弥生氏は、長年にわたって「アートプロジェクト」の調査研究に携わってきた。「アートプロジェクト」とは、ここ10-20年間で増えてきた新しい現代アートの形で、現代アートのアーティストが商店街の空いた店舗や廃校などのスペースを活用し、一般人やボランティアといった多様な人々と共にアート活動を展開するもので、地域活性化にも繋がる。近年では、美術のみならずダンスや演劇、音楽など、「アートプロジェクト」の範疇は、ジャンルを超えた多様なものになっており、それゆえ、現代アートのアーティストが「実演家」と近い性質を持つのではないか、と語った。

彼女はさらに、「労働」という切り口から全体を分析した。「労働」という言葉には「苦役」あるいは「やらされている」というイメージが付きまとう。アーティストはこの言葉に反発しがちだ。加えて、アートプロジェクトでは、ボランティアの人たちが関わるが、彼らは、法律上、「労働者」という枠組みからはこぼれ落ちる。こうした状況と実演芸術の類似性を指摘した。一方で、アートプロジェクトでは、法的に「労働」という言葉が当てはまるマネージャーや事務局の職員の殆どが、現状、非正規雇用であるという。「彼らは、数ヶ月単位から長くて2-3年、アートプロジェクトを求めて転々とする季節労働者のようです」。彼女の発言はアートマネジメント関係者の生活の厳しさを伝える。加えて、若手や女性が制作担当となるケースも多く、結婚や出産、育児を経て、仕事を断念してしまうケースも少なくないそうだ。今回の多様な実演家の話を受けて吉澤氏は、どのようなジャンルでも年齢と性別の偏りがあることを指摘した上で、「男性だからこそ芸術に携わることの難しさもあるのでは」とするジェンダー毎に抱える問題が異なるっている可能性を述べた。

また、全体に共通する話として、「好きでやっている」という「魔法の言葉」の弊害を批判した。経済的に厳しい状況であっても、好きだから続けてしまう。吉澤氏は、若者の就労問題を専門とする教育学者・本田由紀氏が掲げた「やりがい搾取」という概念を参照しつつ、「自発的にやっているのだから、お金の問題じゃない」という意識が、アートのみならず日本社会に浸透している可能性を会場に投げ掛けた。

2020年の東京オリンピックに向けて、文化プログラムが開催されることを受け、地方の若手アートマネジメント関係者が仕事を求めて、東京に集まりつつあるという。「確かに仕事があるのは好ましいですが、2020年後に大量に失業者と無業者が溢れるのではないか。そうならないように、いかに自分たちでまわしていける仕組みを作れるかが重要です」と語った。さらに、「生活者としてのアーティスト」や「アートと労働」といったシンポジウム・勉強会、アートNPOやアーティスト・イン・レジデンス事業に関する実態調査、また、舞台製作者のためのNPO「エクスプラット」の設立を例に上げつつ、昨今の若手が中心となって労働環境を整え、「育成システム」を作ろうとする動きが、そのような状況下で今後、期待できるのではないかと締め括った。

田洋一氏は、殺陣師の高瀬さんの、中国や香港の人にスタントマンの職を奪われるかと思ったら逆の現象が起きているという話を聞いて、ロボット演劇を実践している平田オリザさんが、「いずれ危険なスタントマンなどは、ロボットに代わられると発言していたことを思い出したという。「もしかしたら、そういうロジックを覆すことができるのではないか。技を磨いて鍛錬することで、技術の進歩という常識的な線を乗り越えるヒントがあるのではないかという可能性を感じた」という感想は印象的だった。

また、内田氏は、総括として、困難を乗り越えていく際に「経済の論理」に捕らわれないことの重要性を説いた。「生産性を挙げるために、人を減らす。そうすると職場が荒れ、欝病の人が増えて意思疎通ができなくなり、今度は会社が飲み会までセッティングするような状況に陥る。結局、生産性は下がっているのではないか。常識としてある経済の論理を一度疑ってみる必要があるのではないか」

そして、身体と深く関わっている実演家の経験と知恵のなかから、言葉づかい、データの出し方を変える工夫をして、われわれは、こういう価値を提供しているということを、数値や言葉を選んで、新しい形で伝えていくべきだと指摘した。特に、携帯やスマホネイティブの若い人たちと一緒に未来像を描いていくには、何らかの異なったアプローチが不可欠であり、言葉遣いや広め方の工夫次第で世の中を動かしていくことが出来るのではないかとの提案に繋げだ。

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