10周年記念誌

キッズ伝統芸能体験プログラムが始まって
10年の節目を迎え
これまでの歩みを振り返り
これからの活動に繋げるべく
活動内容を取りまとめた冊子を作成いたしました。

インタビューでは、
各界のトップランナーが
伝統文化について語り、
プログラム修了生たちのその後、
彼・彼女らの声をお届けします。

デジタルパンフレット

デザイナー

世界に通じる強い味方は、
伝統文化です。

しつけ」という漢字は、身を美しくする、と書きますよね。これは「気持ちを着替える」ということなの。浴衣とか着物を着てお稽古をするといいですね。簡単なお稽古着でいいの。形から入るのも大事。

子供時代は、習い事ばかりの生活でした。我が家は呉服屋を営んでいたので、お客様のなかに先生がいると、母はすぐ「うちの子たちも習わせようかしら」となるんです。それも、お箏、お三味線、日本舞踊、茶道、お花と、和の習い事ばかり。小学校低学年の当時は、正座が嫌だった。でもそうした経験というのは、忘れないのよね。向いてなくてもいい、答えはないんです。経験すると縁ができるでしよ。関わること、そのチャンスが重要ですね。

2015年に京都国立博物館で琳派400 年記念の特別展覧会がありましたが、その前夜祭で「能とモードのコラボレーションショー」をさせていただいたんです。革を素材にした能装束をつくって、能楽師の方に舞っていただきました。想像以上に好評でしたね。650 年以上続いている芸能ですから、新しい挑戦をしても違和感がないんです。今年の6 月には、パリでもこのショーをすることが決まりました。海外の美術館で着物展のアーティスティックアドバイザーを務めたり、コンテンポラリーな伝統芸能を表現する世界的な和太鼓グループの舞台衣装も手掛けています。私は和と洋の境を区別しないの、どちらも自分の中にあるものだから。それはやっぱり子供の頃の経験があったからでしょう。

日本の伝統文化は、外に出て初めてすごいとわかります。世界で求められる。伝統文化の素養があって、その文化に誇りを持っている人は、自信を持って海外に行けますよね。子供たちが学校で教わらないことを学ぶ機会は、周りの大人が作るしかありません。まずは大人が興味を持つこと。子供の将来の可能性を広げてあげるのは、大人の責任よね。(談)

Profile/大阪府出身。文化服装学院在学中に装苑賞を最年少で受賞。1978〜2000年にパリ・コレクション参加。また世界各地でファッションショーを開催。舞台衣裳やインテリア・デザインまで、活動分野は幅広い。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 文化・教育委員、TBSラジオ「コシノジュンコMASACA」パーソナリティー。2017年文化功労者として顕彰。

株式会社中川政七商店 代表取締役会長

最近思うのは、やっぱり型の重要性。
芸能もビジネスも、一緒なんですよね。

伝統工芸って、その土地、気候、風土、文化、習慣をベースに作られていて、長年親しんできた素材であったり、そこで生活する上で理にかなったものなんです。ただ、時代に適応できない部分があることによって一気に失われていくというのは、非常にもったいないこと。や っぱりその良さをちゃんと伝えなければいけない。それを改めて読み解き直して、通訳して、正しくコミュニケーションをしていくのが僕らの仕事かなと思います。

何にしても、その世界を知るのは、“ほんまもん" から学ぶのが一番ですね。本物にしか持ち得ないもの、語れないものが絶対あると思うんです。あと最近思うのは、型の重要性。まずは専門家が積み上げてきた基本の型を知ること、愚直に実践すること、そこから自分なりの型が出来てくる。いきなり我流でやっても大したことはできません。

僕は一昨年、父も祖父も継がなかった中川政七の名跡を復活させて、奈良の能楽堂で襲名披露をやったんです。企画はシャレみたいなことから始まったんですけれど、実際に能舞台の上で、紋付袴を身に着けて口上を述べるということを通して、たくさんの人の期待を、僕だけじゃなく社員みんなが感じた。きちんと宣言をしたことで、ビジョンがさらに確たるものになったし、そこから会社としても着実に動いている。襲名という型の力、場が持つカが自分たちの未来に対して、ちゃんと働いている気がするんですね。

芸能とか工芸だけじゃなく、ビジネスもスポーツも全部一緒ですね。やっぱり本物の型には合理性があって、型でしか出せないものがあるんです。型がわかればリテラシーが高まって、楽しみどころがわかる。何か一つ型をつかむことができたら、なんだってできるようになると思うんですよね。(談)

Profile/1974 年奈良県出身。富士通株式会社を経て、2002 年に家業の麻織物を中心に扱う同社に入社。2008年社長就任。業界初となる企画、 製造から小売りまでを一貫して行うビジネスモデルを構築。 また、業界特化型の経営コンサルティング事業もスタート。著書に「日本の工芸を元気にする!」(東洋経済新報社)他。2015 年ポーター賞、 2016 年日本イノベーター大賞優秀賞受賞。

大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館長

五感でのみ込んで、血肉にしていく。
真の教養とは、そういうものだと思います。

子供の頃、アメリカでのサマーキャンプで、正座で行う射撃の練習をしたことがあります。正座をすると、周りの空気が止まるんですよね。静寂になって、すごく撃ちやすい。正座では世界が違って見えますね。人を見る姿勢、自分を感じる姿勢が変わってくる。

日本の芸能、古典の稽古はすごく感性が磨かれると思います。能を例にしますと、現存している曲の多くは、約650年前に観阿弥・世阿弥が命を削るようにして書いた言葉が淘汰されながら、残ってきたものです。その言葉を身体に入れて、息を遣って肺の下からうたい上げる。入れて出していく過程を通して、言葉が身体にしみわたる。そうすることで、数百年前の人の心を、目に映った風景を、言葉を通じて追体験するんですね。ものの見方、色彩感覚、季節をどう感じるか、言葉をどう紡ぐか。現代の生活環境の中だけでは得られない感性を練磨する。「息吹」という言葉がありますね。自ら言葉を発することは、一番、生の神経に触れるんだと思うんです。

そうやって、五感でのみ込んで、血肉にしていく。これは「情報」では切り取れないもの。コンテンツではないんですね。真の教養とは、そういうものだと思います。

子供たちは、学校ではどうしても自分の立ち居振る舞いが決まってしまいます。そこを離れて、自分をリセットし、プロの先生から稽古をつけてもらう。これはすごい財産になります。所作、振る舞い、空気を体験する。先生を見て、真似て、自分で探る過程を経ていきますね。身体に入れて出していくこと、継続的にやること、そしてやりきること。そうやって感性をストックしていくことで、ものを見て感じる力が豊かになる。

その能力はあらゆることに通じるもので、その子が何か全く別のことをするときも、強力な原動力になります。自分では意識していなくても、5年後、10年後の人生のなかで役に立つ底力のようなもの。そこに、こうした和の文化体験の真価があるのだと思いますね。(談)

Profile/日本文学研究者(専門は近世・近代日本文学)。ニューヨーク市出身。1992年ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了(文学博士)。1985年に九州大学文学部研究生として来日、同学部専任講師、国文学研究資料館助教授、東京大学大学院教授などを経て、2017年4月より現職。日本テレビ系「スッキリ」火曜日コメンテーター。

10 YEARS of HISTORY

それぞれの、その後

時を経ても残っている、
確かな手応え

初年度に参加した小学1年生は、
もう高校1年生。
当時の中学生は今や社会人です。
子供たちはその後、
どのような人生を歩んでいるのでしょう。

10年の節目にあたり、
彼らの「その後」を追いかけてみました。
見えてきたのは、「あの時の体験」が、
自身とその家族の中に、
今も確かに息づいている様子でした。

左:兄/傑さん 右:弟/慧さん(取材時:高校3年生)
平成21(2009)年度 狂言コース参加(当時:小学4年生)

この国をもっと伝えたい。
夢は日本と世界の架け橋

髙橋すぐるさん・さとしさん

双子のお二人は、一緒に狂言コースに参加しました。

:挨拶やおじぎの手の付き方など、作法にも型があることを知り、新鮮なことの連続に興味が湧いたのを覚えています。
:僕らは、N H K の大河ドラマが好きだったので、武将が着ている袴と舞袴は違うとか、刀の抜き方や持ち方が違うという話を先生がしてくれるのが面白かったですね。

終了後も稽古を続けた理由は?

:発表会が終わると寂しくて、先生方に御礼の手紙を書いたんです。そうしたら、思いがけず、お返事をいただき、うれしくなって。その後も稽古をお願いすることになりました。
:二人で着付けし合えるようになったので、小学校の卒業式には紋付袴姿で出席しました。中高生になると学業やクラブ活動も忙しくなりましたが、自分たちのペースで狂言を続けてきました。

お二人の将来の夢は?

:外交官か商社で働きたいと思います。
:パイロットになりたいです。ラグビー留学など海外へ行く機会が増えて、目指すように。 留学先で、二人で小舞を披露したりしました。
:海外では、みんな自分の国についてよく知っているんです。自国を知るという意味でも、伝統芸能って大事だなと。ただ、狂言に関して言えば純粋に面白い。僕らも先生の舞台を見てゲラゲラ笑っちゃう。その楽しさを知ってほしいですね。
:いいこと言うね(笑)。僕らも、狂言をしていなかったら、日本のことを伝えたいという気持ちにはならなかったかもしれない。大人になって、やっていてよかったと思うことが、まだあるんじゃないかと思います。
:いいこと言った!(笑)

左:西川先生(日本舞踊コース初年度講師)右:今給黎さん(取材時:高校1年生)
平成20 (2008) 年度 日本舞踊コース参加(当時:小学1年生)

師との出会いから10年。
育まれたゆるぎない絆

今給黎樹生いまきいれみきおさん+西川大樹先生(日本舞踊家)

お稽古を続けようと思った理由は?

今給黎:小学1年生のとき、“お試し体験" に参加して、子供にも分かりやすかった日本舞踊を選びました。稽古は、とにかく楽しかった。踊りで和を表現すること、お客さんの前で表現することの魅力に気づき、修了後も西川先生に稽古をお願いしたんです。
西川:この事業が始まった年の参加で、男の子も少なかったので、よく覚えています。まずは楽しく稽古を受けて伝統芸能に興味を持ってもらうことが目標でしたから、稽古を続けたいと聞いて、うれしかったですね。

お稽古はどのような感じですか?

今給黎:月4回の稽古を始めて、10年が経ちました。発表会が近づくと、稽古場でのことをきちんと身体に染み込ませたいので、自宅で2時間は踊るようにしています。
西川:非常に真面目でね。稽古中は、いつでも集中しています。いまでは何も言わなくても形を整えることもできるし、コンクールで入賞もしました。その姿に、樹生くんの弟さんやうちの小さなせがれも感化されています。

どのような先生ですか?

今給黎:先生からは、人を敬う気持ち、形や姿勢を整えること、気持ちを落ち着かせて表現すること、まずはこういうことが日本の伝統芸能なんだと教えていただいています。プライベートの悩みを聞いていただくこともあります。学校の成績とか、親への感謝が足りないとか。実はいま、成績を落としたら、もう教えないと言われていて(笑)。
西川:もう10年の付き合いなので、親の目線で彼を見てしまって。昨日、成績表を見せてもらいましたが、稽古で集中するのと同じくらい勉強に集中すれば······などと、つい口うるさくなってしまうんです(笑)。

左:母/夕佳さん 右:周生さん(取材時:高校1年生)
平成 26(2014)年度 三味線コース参加(当時:中学1年生)

初めて尽くしの日本の“稽古”。
戸惑いは親子の会話のきっかけに

久保村周生しゆうさん親子

参加のきっかけは?

周生:将来、世界で仕事をしたいという夢があり、日本の文化をもっと知っておきたいと思って。沖縄で三線さんしんを弾いたことがあったので、三味線を選びました。でも、最初は全然弾けなかった。三線とは違う構えや作法もある。稽古で弾けるようになってからも、何度も繰り返し弾かなければならなかったり、正座をし続けなければならないことに、けっこう戸惑いました。

お母様はどのように感じましたか?

:息子は、勉強もスポーツも大抵のことは器用にこなしてきて、まだ挫折の経験がないので、“うまくできているんだから、それで良い" と考えるようなところがありました。でも社会ではそうはいかない。師弟関係のなかで、意味が分からなくても言われた通りにやる過程に気づきがあるのではないかと。それって絶対的な信頼関係の上に成り立つものだと思うんです。これは良い機会になると思いました。
周生:家に帰ると「納得がいかない」とか話していましたね(笑)。あとは、その日に習ったこととか、こういうところが難しかったとか。
:伝統芸能という世界に衝撃を受けたのでしょうね。反抗期で親と話すことも面倒だった時期に親子が話すきっかけができたことを、とても感謝しています。

体験してみて、いかがでしたか?

周生:夏にシアトルヘ短期留学をしたときに、留学生同士で各国の楽器の話になって、三味線を紹介することができました。普段はロックなんかをよく聴きますが、日本の楽器の和むような音色もやっばりいいなぁと思います。プロの先生にしっかりと教わってよかった。自分のなかでもっと掘り下げてみたいので、また三味線を習う予定です。

芦沢さん(取材時:大学1年生)
平成26(2014)年度 日本舞踊ユースコース参加(当時:高校2年生)

日本の伝統文化を支えたい。
見えてきた将来への道

芦沢りょうさん

茶道を習っているそうですね。

中学校の部活動で茶道を始めて、いまも続けています。お茶やお菓子が美味しいだけでなく、美しい道具や着物、お花や書、四季を取り入れたしつらいなど、どれも奥深く、知れば知るほど面白いんです。お茶会では、お客さまをお迎えするわずか30分のために、お稽古を重ねて、裏まわりの人たちとも力を合わせて、もてなしの空間を作りますよね。和の感性や日本の伝統文化の良さが、ギュッと詰まっている感じが魅力です。

参加のきっかけは?

高校2年生のとき、茶道部の総会でチラシをもらって、もっと和の文化に触れられる習いごとに挑戦してみたいと思って。友人を誘って「伝統芸能☆ミカタ計画」に申し込みました。日本舞踊は流れるような動きに見えるのに、実際にやってみると体勢をキープするのが大変。最初は筋肉痛になりましたね(笑)。でも、無駄のない振りや構成には、茶道と通じるものを感じて興味深かったです。友人との帰り道、「足は動かせないけど、手なら動く!」と、稽古の復習をしながら歩いたのは楽しい思い出です。

将来の夢は?

その頃、日本の文化を支えるような道に進めないものかと漠然と考えていたのですが、そのために何をすべきかが分からなくて。日本舞踊の発表会の日、待ち時間に舞台裏のスタッフの方から、文化や芸術を裏方として支える“アーツマネジメント”という仕事があると聞いたんです。「そういうものがあるんだ!」と初めて知って、自分でもいろいろと調べてみました。それが大学を選ぶ決め手となりました。現在は、夢に向かって公共政策を学んでいます。

左:聡二郎さん(取材時:中学2年生) 右:母/安子さん
平成 24(2012) 年度 狂言コース参加(当時:小学3年生)

やりたいことに初挑戦。
自分が変わった!家族も変わった!

北村聡二郎さん親子

参加のきっかけは?

:聡二郎の兄の話ですが、生まれた時から足が少し悪くて、聡二郎は小さな頃からいつも兄の習いごとやリハビリについて回り、一緒に過ごしてきました。私たち親もそれが普通になっていました。
聡二郎:幼かったので、ただ一緒に遊んでいるという感じだったと思います。特に疑問はもっていませんでした。
:幼稚園の頃、帰りの挨拶で、どこで覚えたのか歌舞伎の見得を切るようにしていたんです。飽きることなく、楽しそうに毎日です。小学生になって「キッズ伝統芸能体験」のチラシを見て、そのことを思い出しました。歌舞伎と狂言は違いますが、「やってみる?」と聞くと、「やっていいの?」という返事。そこで気がついたんです。この子は、これまで自己主張をしてこなかったんだと。
聡二郎:「やっていいよ」と言われて、とてもうれしかったことを覚えています。

実際のお稽古はいかがでしたか?

聡二郎:自分一人で何かに挑戦することは、このときが初めて。とにかく台詞を覚えるのが大変で、家で大きな声で練習しました。それを見た兄も「すごいね」と喜んでくれて。
:家族全員で覚えてしまいましたね(笑)。

発表会はいかがでしたか?

聡二郎:拍手をもらえたのもうしかれったし、いま思えば、よく舞台であんなに大きな声が出せたなと(笑)。それからは、興味のあることには片っ端から挑戦するようになりました。いまは、格闘技やプログラミングの勉強が楽しい。あのとき、自信を持てたことがきっかけになって、身体にも心にも変化があったと思うんです。僕にとっては、あの経験が人生を変えるできごとでした。

左:母/佑里さん 右:愛瑠さん(取材時:小学4年生)
平成28(2016) 年度 篠笛コース参加(当時:小学3年生)

きっかけは一枚のチラシから。
広がる和の世界への興味

徳本愛瑠さん親子

参加のきっかけは?

:学校でもらってきたチラシです。日本の伝統芸能には特に縁がなかったのですが、本人が篠笛をやりたいと言ったので。
愛瑠:リコーダーの日本版のような笛を吹いてみたくて。でも、音がカスーッとなってなかなか出ないし、やさしく吹かないとキーンという音が鳴るし、篠笛のほうが難しかった。最初はちょっとイヤにもなった(笑)。
:お稽古の帰り道、公園で練習したね。
愛瑠:初めて音が出たときの爽快感!嬉しかった。あと、先生が美人でやさしかったの。

ほかにも習い事をしているとか。

:篠笛をきっかけに自治体のイベントなどを利用して、茶道、生け花、日本舞踊に挑戦しました。いまは、柔道や尺八、そして、「キッズ伝統芸能体験」事務局からの案内で、近所でおこと教室が開かれることを知って、それもやってみたいと言うので始めました。一年くらい続けています。
愛瑠:楽器を弾くのが好きで、外国の曲より 和の曲の方が好き。(洋楽の)コンサートは眠くなるけど、日本のだと落ち着くの。桃の節句のときに聞いたおことの音が好きで、弾いてみたいと思って。でもね、勘違いしていて、それ本当は三味線の音だった!いまは、おことも大好きなんだけど。

将来の夢は?

:大人になると垣根が高くなってしまうので、小さいうちにいろいろとやってみて、好きなことが見つけられればいいかなと。一枚のチラシが縁で、世界が広がりました。
愛瑠:動物も好きだから、自分の牧場をやりながら、おことをいっぱい弾きたいな。
:牧場なら、音がどれだけ響いても大丈夫だものね(笑)。