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インタビュー「あの先生の “キッズ時代”」高野和憲先生(狂言)

2021.03.17 コラム

先生たちの “キッズ時代” や “たからもの” にまつわるエピソードを紹介するシリーズ企画。
お稽古場ではなかなか見えない先生方の「素顔」を、少しだけお伝えしていきます。

今回は、能楽/狂言コース 高野 和憲(たかの・かずのり)先生です。
柔和なお人柄と張りのあるお声が魅力の高野先生に、ご自身の “キッズ時代” について文章をお寄せいただきました。


人の役に立ちたい。子供の頃の夢は医師になること

— お稽古をはじめたきっかけを教えてください。

小学生の頃は、家で、じっとしてる子供でした。ただ、本だけはたくさん読んでいましたね。隣が本屋さんだったこともあり、よく立ち読みをさせてもらいました(笑)。今でも図書館とか大好きです。それにクラブや部活動に参加できないくらい貧しかったので、高校時代からアルバイトばかりしていました。また、小学生の頃にテレビで見た救命救急の番組に影響を受けて、医師になりたいと強く思うようになりました 。高校生になると、バイトもしながら受験勉強をしましたが不合格になり、新聞奨学生として東京の予備校にも通いましたが、やはり失敗して勉強がいやになり、二浪できっぱりと諦めました。そして、全く知らない世界に身を置いてみることを思い立ったのです。
二十歳の時、新聞で「研修生募集・無料」という記事を見つけて国立能楽堂の養成所に入所しました。狂言なんて何も知りません。稽古の受け方すらわからず、ひたすら「違う!」と言われ続ける日々。発声、構エ、日常の態度から全否定です。6年間の養成所時代はとても辛く、毎日やめたいと思っていました。早く出所したかった(笑)。ただ、長年の夢をあきらめて飛びこんだ世界。若さもありましたので、「言われっぱなしで終わるか!」という気持ちだけでがんばりました。同期という仲間の存在も大きかったです。私ひとりでは到底続けられなかったと思っています。

  
photo: (左)若き頃の高野先生と師匠の野村万作先生。養成所時代に『膏薬煉(こうやくねり)』の動きを習う (右)師匠について小舞の地謡を担当。右が高野先生

演じれば演じるほど奥が深い狂言。舞台上からお客様の笑顔を見る喜び

— なぜ、これまで続けてこられたと思いますか。また、その魅力とは何でしょう。

演じれば演じた分だけ、「こうではないな」といつも思います。「師匠に言われた通りにできていないな」、「セリフを間違えたな」、「間(マ)が違ったな」などさまざまで、そのたびに次に活かそうと思うんです。狂言はやればやるほどに奥が深いもの、それが続けている理由です。若い時にはできたことができないこともあるし、その日の体調や声の出方などさまざまな要因が舞台の出来に影響します。それでも、お客様から反応をいただき、楽しまれている姿を舞台上から目にすると、とても嬉しく感じます。医師ではなく狂言師になりましたが、師のつく仕事に就くことができました(笑)。
それから、私は旅行が好きなので、国内はもちろんのこと、海外公演にも参加させていただき、外国の風景や人々に触れ、あちらこちらの名物を食べたり飲んだりできるのも大きな魅力です。いま振り返ってみると、28年前、養成所に入ってからの6年間がいかに重要であったかということが身にしみてわかります。もっとたくさんの先生にお話を聞いておけばよかった、もっと稽古をしてもらえばよかったと思うこともしばしば。あの舞台を拝見しておきたかった、と思うこともあります。

一夜漬けができない芸事。ときには仲間と支え合いコツコツと続けよう

— お稽古をがんばっている子供たちへメッセージをお願いします。

勉強でもスポーツでもできなければ面白くないと思いますので、少しずつクリアできる目標をつくっていくと良いと思います。たとえば、「今日は大きい声を出す」とか「今日はセリフを3行だけ覚える」とか、自分にできそうなことが良いでしょう。人間は忘れ得る動物です。繰り返し続けることが大事だと思います。
芸事は一夜漬けができません。一日のうちに10分でもいいから、それに取り組む、もしくは考えるだけでも良いと思います。考えることも面倒なときは、10分間だけ正座をしてみるのでもいいのです。お舞台では正座をしなくてはならないので、これもお稽古になります。あとは、辛くなったら、一緒にやっている隣の子や先生とお話をしてみましょう。隣の子だって、先生だって努力をしている人なら同じ気持ちになったことがあるはずです。話をしてみると「なんだ、みんな同じなんだ」と安心できると思いますよ。[寄稿]

  
photo: 最近の舞台『鐘の音』『子盗人』より

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