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インタビュー「あの先生の “キッズ時代”」東音 植松美名先生(三味線)

2021.02.10 コラム

先生たちの “キッズ時代” や “たからもの” にまつわるエピソードを紹介するシリーズ企画。
お稽古場ではなかなか見えない先生方の「素顔」を、少しだけお伝えしていきます。

今回は、長唄/三味線コースから 東音 植松 美名(とうおん・うえまつ みな)先生です。
いつも穏やかで たおやかな植松先生に、ご自身の “キッズ時代” について文章をお寄せいただきました。


もっと外で遊びたい! お稽古はいつもふてくされて……

― お稽古をはじめた時期、きっかけを教えてください。

私の父方の祖母や母が日本舞踊や長唄、端唄などを教えていました。初舞台は6歳の頃でしたが、昔からのんびりとしていたせいかあまり小さい頃の記憶がなく、気がついたら三味線のお稽古をしていたという感じです。当時、流行りのスーパーヨーヨーやけん玉、こま回しなど、放っておいたら何時間でも一人黙々と遊び続けるような子供でした。あの頃、現在のようなコンピューターゲームなどがなくて良かった、とつくづく思います(笑)。
小学生の頃は、外で遊ぶことも大好きでした。学校帰りに近所のお友達と公園などで楽しく遊んでいるのですが、夕方になると、母から「お稽古しますよー」と声がかかるのです。もっと遊びたい私は、いつもふてくされてお稽古をしていたように思います。三味線のかたわら、ソフトボールやバスケットボール、サッカーやスキーなど、スポーツも広く楽しんできました。



photo: 演奏会の様子(6歳の頃)

いつのまにか夢中に。つらくても、自分が“好き”と思える道へ

― この道に進もうとお決めになったのは、なぜですか。

子供ながらに、三味線に携わっている祖母や母が楽しそうに見えていたのかもしれません。お浚い会(発表会)では大人たちがハイテンション、どこかお祭りのようで、その非日常の特別な雰囲気が楽しくて好きでした。中学生になりますと、上手く弾けないことを悔しく感じるようになりました。少し遅い気もしますが……(笑)。長唄三味線を学べる大学があることを知り、自分が “楽しいな、好きだな” と思うことを続けていたかったからでしょうか。東京芸術大学を受験するため、高校2年生の夏に東音 高橋尚子先生に師事いたしました。
本格的に長唄を勉強するとなるとたくさんの曲を覚える必要があり、入学してからも必死の毎日でした。「突然、演奏会で知らない曲を弾くことになりパニックになっている……」という夢は、いまでもよく見ます(笑)。なかなかできなくて悔しかったことや苦しかったこともありましたが、先輩方や同級生の仲間に助けられ、励まされ、よく学び、よく遊び、楽しい毎日だったと思います。 演奏会に向けて、みんなで一つの音楽を作り上げていく過程も好きでした。仲間がいたからこそ続けられたのかなという気がしています。



photo: 勉強会の様子(大学生の頃) 

個性と個性の調和。無意識にも互いを気に掛けて演奏する日本の音楽

― お稽古をがんばっている子供たちにメッセージをお願いします。

長唄は、唄・三味線・囃子によって演奏される総合音楽です。それぞれ役割が違いますが、演奏者一人一人が責任を持ち、その個性と個性が調和して一つの音楽となります。演奏中は、ほとんど無意識に誰かが誰かを気に掛けている。お互いにカバーし、フォローしながら、同じ気持ちでゴールに向かって進んでいく。そのような感じが日本人らしくもあって素敵だなと思います。
何にでも共通することですが、やはり「継続は力なり」。 今日はできなくても、次の日には急にできてしまう、なんていうこともあるのですから。まずはこの体験期間、できても、できなくても、一緒に頑張って練習を続けてみましょう。上手くできないところは、クラスの仲間に助けてもらい、素敵な合奏を目指しましょう。そして 3 月に大きな舞台で演奏する自分の姿を想像してみてください。演奏前の緊張感や演奏中の高揚感、そして、演奏後の達成感、解放感など非日常の感覚を、ぜひ一度体験してみてほしいです。[寄稿]


photo: (上)第149回「長唄女子東音会」より『傾城』演奏(2019年4月 於:国立小劇場)右端が植松先生、お隣の三味線は師匠の東音高橋尚子先生 (下)最近の舞台より


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