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インタビュー「あの先生の “たからもの”」東音 岩田喜美子先生(三味線)

2021.03.25 コラム

先生たちの “キッズ時代” や “たからもの” にまつわるエピソードを紹介するシリーズ企画。
お稽古場ではなかなか見えない先生の「素顔」をお伝えしています。

本年度は感染予防のための決まりごとが多く、せっかく出逢えた先生やお友達とあれこれお話をする時間も十分ではなかったかもしれません。
“もっと先生たちのことを知ってほしい”と始めたこの企画、お楽しみいただけましたでしょうか。

ラストを飾るのは 長唄三味線コースの東音 岩田喜美子(とうおん・いわた きみこ)先生です。
お稽古が大好き! と笑う“粋” な岩田先生に、ご自身の “たからもの” をキーワードにお話を聞きました。


お友達に誘われて。遊びに行ったつもりが入門!

― お稽古をはじめた時期、きっかけを教えてください。

5歳の時です。戦前の気風が残っている下町・日本橋人形町の生まれで、お稽古ごとをするのが当たり前といった環境でした。家のすぐ近くに三味線の先生がいらして、お友達に「行こう行こう!」と誘われて一緒に伺ったのがきっかけです。遊びの一環でしたね。子供でしたから、月謝が発生するなんて考えてもいないし、あとで話を聞いた親がびっくりして、慌ててご挨拶に行きました(笑)。そのくらい気楽な入門でした。
週3回のお稽古は意外と忙しかったです。学校から帰って先生のお家に行くと、玄関に自分のバチを置いてお稽古の順番を取るんです。いつも混んでいてズラリと並んでいました。待ち時間にお習字のお稽古に行ったり、子供ですからたまには遊びに夢中になって忘れてしまったりすることも。すると、師匠のおばあさまが「きみこちゃん! 次、順番よ」と探しに来てくれるのです。どこまでも(笑)。まったく怒ることのない優しい先生で、お稽古がとても楽しかったです。困ったことと言えば、学校で走り回って、外で遊び回ったあと足がパンパンな状態でお稽古に行くので、すぐにしびれちゃうことくらいでしょうか(笑)。中学生になっても週に3回、高校に入ってからはお稽古に加えて学校の長唄部にも入部。とにかく、いままでお稽古をやめたことは一度もありません。
 
photo: (左)お弾き初めの様子。岩田先生は写真中央。稀音家六絹代先生と。
(右)高校の長唄部。唄は制服を着た高校生が担当。三味線はOBの先輩方が担当。岩田先生は写真中央。この写真には先輩であり、のちに人間国宝となる河東節三味線の山彦千子さんのお姿も(三味線右から2番目)。

歌舞伎と出逢うことで立ち上がり彩られた世界

― この道に進もうとお決めになったのは、なぜですか。

すべては“歌舞伎”だったと思います。中学3年生の時(中高一貫校)、学校のクラブ活動で歌舞伎研究会に入りました。毎月、歌舞伎座に行って歌舞伎を観るんです。登校前、クラブ全員の学生証を預かって並び、売り出しの時間になると割引きチケットを買うんです。この日だけは遅刻してしまうのですが、怒られませんでした。クラブ活動の一環ですからね(笑)。きまって三階の一番前の席を陣取り、観れば観るほどに「これは面白い!」と思えて、気に入った演目がかかると今度は幕見席で学校の帰りに毎日でも観に行っちゃう。歌舞伎と出逢ったことで、子供の頃から続けていた音楽がただ歌って弾くだけのものではなく、その息づく世界全体を見渡すことができたとでも言うのでしょうか。心を奪われました。子供の頃から習っていた長唄が、自分の肥やしだったのだと思います。
高校2年生の夏休みの宿題で、「鷺娘(さぎむすめ)」について書きました。「そんなに好きなら、東京芸術大学というところで長唄を学ぶことができますよ」と勧められ、のちの恩師となる東音 田島佳子先生のもとでお稽古を始めました。妥協のない先生で、根気よく教えてくださいました。ほんのわずかなことでも20分、30分と、できるようになるまでダメ出しが続き、できない自分が悔しかったことを覚えています。その曲のその部分はいまでも弾くたびに思い出されます。
田島先生は「演奏者として、一曲一曲をどのように作り上げてゆくのか」という道を示してくださった先生でした。たとえば、何が正しいということがない世界ですから、唄が違えば三味線も違うし、どういう風にお相手をするのかは、相手を知ることがいちばん大事です。長唄三味線は長唄の三味線ですから、唄を生かしていくことが、自分が生きることなのだと思います。だから、お稽古が楽しいの(笑)。その気持ちは変わらないですね。

photo:  東京芸術大学の卒業式。師匠の田島佳子先生と。(1971年3月)

あの音色を追って。譲り受けた者の使命を果たしたい

― 先生の“たからもの”を教えてください。

生前、師匠が「これはあなたが使いなさい」と言ってくださっていた、先生が最後にお使いになっていた三味線です。田島先生はとにかく音の良い方で、素晴らしい音色を響かせる方でした。実は、すぐには使いだせなかったのですが、しばらくしてこの三味線に触れると、先生の音がするんです。そこから、どのようにあの音色を引き出していたのか、どのように自分のなかに取り入れて先生の音色に近づけてゆくのか、そこが、この三味線を譲り受けた私が追究すべき使命のひとつだと思います。この機会を無にしたら怒られちゃう(笑)。早く自分のものにしなくてはいけない、という特別な思いがあります。

 photo:“たからもの”の三味線

― お稽古に励んでいる子供たちに、メッセージをお願いします。

ちょっと振り返ってみたら、“昨日は全然できなかったことでも、今日はできている”ということがありますね。思い出してみてください。最初にバチの持ち方を習ったときはちんぷんかんぷんで、逆に持ってしまった子もいるでしょう。いまでは自然にすっと楽器にあて、左手も構えて、と自然にできています。大きな進歩です。昨日の自分を振り返ると、すべからく、確実に一歩進んでいる自分が見えるはずです。何事もそうですね。進み方がゆっくりしていても、速度はひとりひとりが違うもの。そのなかで面白さを見つけられたら良いのです。
私も、舞台ではもちろん失敗もありますし、恥をかいたことも山ほどあります。でも、「どうしたらできるだろうか」と考えることはあっても、「いやだ」と思うことはありませんでした。落ち込んだりするのが面倒くさい性格なのですね(笑)。それよりも前向きにできる方法を考えて、あきらめずにがんばりましょう。[談]

photo: 最近の演奏の様子

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